仕事に対する閉塞感の理由についての考察 : 日本の社会構造上の問題が大きい

最近、外資戦略コンサルM社や、大手財閥系メーカーF社、教員、行政職員などの友人と近況報告したので、それらをインタビューと捉え、一つの仮説を提示したいと思います。

 

1.「もうやれることがない」

この研究領域はすでにやれることがやられきっていて、ほとんど新しくやれることがない。だからこんな大所帯でものすごく細かい研究や改善をしていても、確実にコストを回収できない。

抜本的に対象領域を見直さないといけない。

 

→ この話はメーカー勤務の友人からの意見。仕事の閉塞感を感じているということで、実際問題どういう状況なのかインタビューした。

仕事の現場ではとても、「これ以上は無意味」とは言えないため、どうにかこうにかテーマをみつけ研究活動を続けているということだが、それは誰の目から見ても明らかなように無意味だそう。

 

2.「ほとんど使われない資料に膨大な時間」

会議で1分だけ使われる資料の作成に膨大な時間を費やす意義を感じない。

そもそもその資料があったとしてもクライアントの事業が良くなるとは思えず。

 

→ こちらは戦略コンサルの友人の言葉。

私も同様の業界にいるため、よく分かる話だが、コンサルのアウトプットはドキュメントとなるため、そのドキュメントに凝りすぎることによってこうなる。

やっていることの意義や価値を冷静に考えて、価値を感じることにしか頑張れない、まっとうな人。はコンサルにはいられないのでは?と。

もちろん友人も私もパートナーやプリンシパルになって、企業経営者と直接ディスカッションできる立場にいないので、コンサルの下っ端の愚痴に近いわけなのだが、どの業界でも同じように上が詰まっている状態なので、優秀なジュニアコンサルはどんどんと職場を離れていっている。

 

下っ端の愚痴。と一蹴されても構わないが、コンサルはどこまでいっても労働集約型産業であり、現場で実際に動いているジュニアコンサルは、作業員。

レンガを積み上げながら、世界を変える協会を作っている。と捉えられればよいのだろうが、優秀な人であればあるほどもっと直接的に社会貢献したくなるはず。

良くも悪くもコンサルという仕事はサービス業なので、やっていることの価値ではなく、その作業でいくらのフィーがもらえるのか。もっとフィーをもらうためにどうすべきか。を愚直に考えられる人が向いている。

 

3.「行政が抱える課題は山のようにあるがお金と人がいない」

民間企業が提供できるサービスや商品は全国津々浦々行き届いており、根本的な日本の問題はすでに民間企業が解決できるものではなくなりつつある。

行政として、インフラや医療、介護、教育など日本を良くする仕事が沢山あるということは認識しているが、お金儲けにはならない(GDPを押し上げる直接の行為)ため、なかなか前に進まない。

 

→ こちら、行政職員と教員から同様の意見が。目の前の解決すべき課題は山程ある。が、人や金がない。と。

1.2.で感じている課題と全く異なる、やりがいや価値が高いけれども人手が足りない。という状況。

1.2.はやることに意味はないけど人や金はあるので、重箱の隅をつつくような仕事していてやる気がない。ということ。

 

4.「仕事に価値を感じにくくなっている」

やっていること、所属しているプロジェクトや会社が世の中に提供しているものに価値を感じにくくなっているため、自分のしごとも価値が少ないと感じてしまう。

いい企業に入っていい仕事をすることが人生の目的でありゴールだと教えられてきた我々の世代にとって、良いとされている企業に入ったとしても価値のある仕事ができないと気づいた瞬間の閉塞感や絶望感は非常に大きい。

それを薄々感じながら学生時代をすごし社会人の第一歩を踏み出したわけだがコロナによって本当に人類が求めているものが何なのか、ということが浮き彫りになった。

今、改めて自分がやっていることがあまり価値のないことだということに気づき始めている。

このような感覚はおそらく東日本大震災を経験した人々も感じ、それなりの行動を起こしたと思う 。

 

→ 多少意訳はあるけれども私がインタビューした皆が同様に感じていること。

 

 

---ここからその原因の考察---

なぜ上のように感じてしまうかというとm明らかに日本というマーケットが成熟し衰退し始めているから。

 

その一番の理由はもちろん高齢者の数の増加と生産年齢人口の減少。

 

買う人がいない、使う人がいないマーケットでは提供者は大きくならない。

 

そして、企業活動で何か改善できる余地が非常に少なくなっているということも事実。

 

インターネットと Google の登場より、最善である正解にたどり着きやすくなっている。

つまり、自分一人が一生懸命探したアイディアは、おそらく世界のどこかで誰かが既にたどり着いている事が大半で、自分で探すまえにググる。というのが正解のプロセスになる。

 

そして、その情報を採用することですぐに改善することができる。

この作業は、インターネットが本格的に普及し始め30年間で色々な場所で行われてきた。

つまり世の中の最新のベストプラクティスと言われているやり方はどこの企業でもすぐに模倣可能であり差異化は難しい。(差異化こそが企業の競争力の源泉であるにも関わらず)

 

また、技術に目を落としたとしても同じことある。日本の技術者が大量に韓国の企業に移った時に各人が持っている財産はすぐに奪われた。

 

 

 

こういう状況で、我々企業に属している社員たちは何をしていけばいいのか?

本質的には社員の数を減らすことが目的になると思う。

 

やることが少ないのに、たくさんの人を抱えている。

 

その人たちを企業が解放してもっと自由に想像し、挑戦させることが社員にとっても企業にとってもハッピーではないか。

 

しかし、実際にはお金を稼いで生きていかなくてはならない。

つまり民間企業が、仕事の価値や生活の保証までできた時代は終わったということ。

 

 

私が期待している方法としては、大きな政府

つまり、ベーシックインカムように皆が安心できる社会を実現すること。

 

このように考えても、やはり、パブリックセクターが提供できる価値は、民間企業が提供できる価値に対して非常に大きくなっている。

 

また、後半二人のインタビューでもあったように、何もやることがない民間企業に比べて、やることが山ほどあって人が足りない公共セクターにもっとお金と人が流れるべきなのである。

 

そのためどうすればいいかと言うと結局のところ税金を多く取るしかない。

また無駄な税金の使い方を見直すしか無い。

 

例えば、コロナの給付金によって、本当は潰れるはずだった企業が延命されているという裏の側面が大きくあるが、本来は、コロナによって打撃を受けてやっていくことが難しくなった企業は退場すべきである。

 

 

お金を配る目的は延命ではなく、再挑戦のほうが賢い。

 

 

もし国がそういった制度をしっかりと整え、企業や個人に対して一度止めて休憩しても、また挑戦しやすくするような状況を整えられてば、少なくとも私のようなコンサルタントの中にはかなりの人数が会社を辞めて新しいことに挑戦するという動きが生まれるはずである。

 

 

 

若い人々や私と同じ感覚を持っている人は自分の仕事の仕方や所属する会社の問題なのではなく、これは日本の構造上の問題であるとる諦めるしかないのではないか 。