日本の緊縮財政策の弊害:MMTを支持する理由はデフレ脱却ではなく心豊かな社会のため
盛り上がるMMT理論
MMT理論が盛り上がっています。
djooも今年に入ってから以下のような書籍を読んでやっと理解ができました。
MMTの概略
こちらの記事でMMTの概略は勉強してみてください。
かんたんに言うと
1. 自国通貨は無限に発行できる
2. インフレにならないように発行したほうが経済は上向くはず
というような話です。
日本の中にはびこる極端な拝金主義
お客様は神様 = お金をくれれば何でもする
という考えではないでしょうか?
・家族との時間
・趣味の時間
・健康的な睡眠
・嫌なことでも我慢
お金が貰えればそれらのことをやることが「当たり前」だという教育があったのではないでしょうか?
仕事なんだから、給料もらっているんだから、という理由で非人道的とまではいかないまでも、ひどい経験をした人は多いはずです。
これらの原因をたどっていくと最終的には極端に崇められるようになった「お金」の存在がそこにあるように思えます。
何よりもかけがえのないお金のために日本人はとにかく人生をすり減らして生きているのでは?
日本人の勤勉性
もともと日本人は勤勉です。
というと使い古された表現ですが、例えば以下の状況でみなさんならどのような「気持ちになるでしょうか?」
ある勤務日、1日特にやることがない状況になった。上司からの指示も特になく、明日や今週中に仕上げるものも特にない。
この状況で、
1. 何もないなら帰ろう
2. やることを探そう
のどちらを選びますか?
勤勉な皆さんなら、2.を選ぶことが多いでしょう。
企業も2.を望みますし、個人としてもなにかやることを探す=主体的に仕事を作る。というのは仕事人として成長します。
しかし、djooの個人的な感覚ですが、アメリカで仕事をしていたとき、ほとんどの現地スタッフは1.を選びます。
やることが特にないなら帰る
のです。
この感覚、まあわかるようだけど実行は難しくないでしょうか?
サボるとか怠ける。というような表現につながるような状況かもしれません。
とにかく、日本人は怠惰な状況を本能的に悪いものと捉えているようでなりません。
つまりは、日本人はお金や顧客云々の前に、なにか労働していないと気がすまない、という感覚になる、人種や国民性だといって問題ないのではないでしょうか?
勤勉性×緊縮財政=極度にストレスのかかる社会
日本人の極端な勤勉性に、緊縮財政や日本人のもったいない精神やムダを嫌う考え方がかけ合わされると、「極端にストレスのかかる社会」が出来上がります。
勤勉性、無駄の排除、生産性の向上(個人レベルで)、給料のカット、節約、貯金、、、、
とにかく、今は節約、頑張る、怠けない。そしてそれを他者にも強く求める。という状況です。
生活保護や低所得者を見下す論調や、努力すれば報われるという発想。
可能な限り頑張り続けることが美徳とされ、少しも休まる暇がない。
本当にこれらの努力やストレスは価値のあるものなのでしょうか?
更には、これらの状態を長く続けてきている結果はどうなっているのでしょうか?
結局豊かさから離れていってしまっている日本社会
頑張った結果、成長や豊かさの獲得につながっているのであれば、まだ報われます。
次も頑張ろうと思えますし、それは国の発展にも繋がります。
しかし、実際問題日本は特に成長していません。
頑張ったところで、GAFAMが市場を独占し、利益はどんどんと減っています。
つまり、豊かさのために頑張ってきたはずなのに、結果はついてきていないのです。
そもそも緊縮財政は勤勉な日本人には過剰な効果となってしまう
ギリシャやイタリアのデフォルト。
お国柄的にもなんとなく、働かなそう。ということがよく分かると思いますが、そのとおりで、放っておくとサボるんです。
サボるというと表現が悪い。
労働ではなく、それ以外のことで人生を愉しむわけです。
しかし日本ではどうでしょう。
放っておいてみんながサボるんでしょうか。
多分、サボりません。
なにかしら労働したり活動したりするはずです。
そんな日本において、緊縮財政=苦しいから無駄をなくして頑張れ。というメッセージは強烈に効きすぎます。
ギリシャ人に、実は財政がやばいから働いてくれ。とお願いしてもなかなか動いてくれないでしょう。
でも日本人にはよくきく。
なので日本人には、本当は
「大丈夫。安心して。日本は豊かになっていく。楽観的に。豊かに。のんびりと。」
というようなメッセージのほうが、本当は丁度いいはずです。
勤勉な国民性 × 余裕のある政策 = 放っておいても働いて使って愉しむ
ということが実現できるはずです。
緊縮財政は消費活動でも極度な値下げ圧力を生みます。
お金がないから安くしろ。合理的にしろ。1円でも安いものを。
とにかく書いての
勤勉に労働する。ということはなによりの価値。
日本が本当に守らねばいけないのは、勤勉に労働する。という国民性だと思います。
サボらずに頑張る国民性につけこんで、安い給料で厳しい労働をさせるのではなく、それを豊かに続けられるようにしていく国造りが大事です。
労働や生産というのは本当は最も尊い価値です。
そもそも貨幣や経済の仕組みは、皆が効率よく労働、生産しその富を全体で利用していこう。という発想から生まれているはずです。
飢餓や疫病をなくし、だれもが文化的で豊かな生活ができるように考えられた仕組みです。
そのため、最も大切なことは、世の中がよくなるような労働をしている。ということです。
決してお金をたくさん持っていることではありません。
売り手が本当は強いはずなのです。
お金さえ出せば何でも買えるというのは、間違いで、提供者がそこにいるから成り立つはずです。
海外で生活したことのある人はわかると思いますが、支払った金額に対してサービスや商品が不満であったり、目の前の人から提供されるサービスが物足りないと感じたこともあるはずです。
サービスや労働というのは当たり前ではなく尊いのです。
その尊さを国民性という形で提供できる日本は本来ならば、もっともっと豊かになって良いはずです。
世界各国から安い労働力とみなされ、こきを使われるのではなく、外貨などに頼らずに日本は日本として豊かな社会を作っていけばいいのではないでしょうか?
MMTの理屈で救われた
将来の借金の不安、社会保障の不安、人口減少の不安、国力低下の不安、所得減少の不安、国際競争の不安、、、、
明日のことを考えると不安や嫌な気持ちでいっぱい。
こういう人はたくさんいます。
そしてその状況を打破するのは、労働、しかないと思いこんでいませんか?
頑張ることがなによりも大事。
ではないのです。
本当ならば、明日は大丈夫だよ。と言う社会を作ることが必要です。
そのための理論として私はMMTに本当に助けられました。
一旦、借金のことは忘れよう。
頑張っても報われないのはあなたのせいではない。
生産性や効率ではなく、多少高くても、無駄があってもいい。
みなが緊縮財政のもとで、叩きあうのではなく、余裕を持って生産、労働、消費、投資をするべきなのです。
価格を下げて、少しでも効率よくやろうとすることは大事な努力かもしれませんが、適正な利益(労働の対価)を得ることを忘れてはいけません。
その労働の対価は目の前の顧客から直接支払われるべきですが、今の日本ではそれは望めない。
それならば、国がそれらを保障しても良いのではないか?
こういうふうに考えられるようになりました。