家具家電を処分しながら中古品とかひとの消費活動について考えた。結論:EXIT戦略ありきの消費が必要。
アメリカからの帰国に伴い家具家電のガレッジセールをやりました。
お陰様でほとんど売れまして、残すは小物のみ。
さて、今回の経験で感じたことを何回かに分けて書きます。
結論としては、とてもいい経験になり、是非ともみんながやってみるべきだ。と思いました。
とてもいい、というのはこの経験があったために、商売ってこういう感じなんだと疑似体験でき、更に消費者としても少し賢くなったと思うからです。
・日本は中古品に対する嫌悪感がある
まず、アメリカでは個人売買がとても盛んです。
今でこそ日本でもヤフオクやらメルカリなんかが流行っていますが、アメリカではガレッジセールという文化がそれこそ何十年も前から根付いています。
日本もバザーっていうのがありますが、あれは個人売買と言うよりは、寄付に近い気がします。
そういう文化もあってか、アメリカでは中古品の値段が日本と比べて高い。
だから結構いい値段で中古品が売れる。
車なんかがいい例で、新車を買うのは金持ちです。
でも中古車だってそんなに思い切り値崩れしていない。
アメリカは新品か中古かというAll or Nothingではなく、そのものがもつ機能が生きているかどうかにフォーカスしているように見えます。
なんで日本は新品にこだわるんですかね?
新車とか新築とかってめちゃくちゃ割高だってわかってるのに買う。
多分これは生命保険に入りまくる日本人の思考と同じだと思います。
日本人はとにかく安心安全が好きなので、
・中古を買って何かあったら嫌だ。
・新品なら安心
・中古の評価を自分の責任でするのが嫌だ。大変だ。
・そのれらの安心のために機能的には全く一緒のモノを3割増の値段で買うのもいとわない。
という感じでしょうか?
不動産は最近中古物件に対する鑑定書をつけることで市場の活性化を促しているそうですが、まだまだ新築注文一戸建て/新築マンションに拘る人がいるらしくびっくり。
(djooは23区内に中古で築浅の戸建てを買いました。新築時に比べて1.5割くらい安かったみたいです。)
・本だけは特別?図書館の影響か?
そんな中、古本だけはむか~しから中古市場が活発ですね。
多分、その昔は本は高価だったというのがあるでしょう。
また図書館という公の施設が普及しているのもその一因。
でも根本的には、本というのはその中に書かれている内容=機能が売り物であるので、買わずとも読めればOKという考え方が根付いている。
・所有欲がある。どう使うかではなく、何を持つか
昭和生まれくらいまでの日本人にはまだまだかなりの所有欲があるでしょう。
所有欲というのは使ってなくても持ってるだけでハッピー。
機能はしょぼいけど、ブランドを持ってる自分、ハッピー。
みたいな感覚です。
こういうブランド志向というか所有欲が日本人には強いので、なんでもかんでも良いものを求めようとする。ここで言う、良い物というのは良い物と世間一般に認められているものです。
隠れた名品とかはそういうひとにとっては無価値ですから。
・中古市場の不活性は新品市場の不活性に繋がる
さて、こんな感じで日本人のちょっと古い人には、中古はあんまりよくないという感覚が根付いている。
まあ実際に昔は中古品ってひどかったんでしょうが、今の時代はそんなことはなくて、車でも家でもスマホでも時計でも家電でも家具でも、状態の良い中古品が溢れている。
僕が思うのは、中古市場が不活性だと新品もあんまり売れないのでは。ということ。
なぜなら、古いものを買い換える時に、古いものがそれなりの値段で売れると思っていれば新しいものに買い替えやすくなる。
だから新しいものを買うときのハードルが下がる。
一回買って、壊れるまで使う。のではなく、その機能よりもより良い機能のものが出たら買い換える。ということが可能になる。
車だと下取りというのがありますが、それでも大した値段にならないですもんね。
1kmでも走ったら新品では無いんですから。
それでいきなり中古。
マンションもそうですよね。
新築は5,000万円でも、住んで1年たったら中古なので4400万円とかザラにあります。
たった1年で600万円ということは家賃50万円/月ってことですからね。
これだと一回新築買っちゃったら絶対に売れないですよね。
損切りできない投資家の心理ですね。
・中古品が低価格なのは新品の商品企画力にも影響がある
上の話にもつながっていますが、中古品があんまり売れない、市場が不活性だと、新品と言うのは新品というだけで価値があるかのように思われてしまいます。
となると、全く同じ商品でも新品のがもちろん価値が高いし、ほとんど変化のないあたら良いモデルとかも一世代前の中古と比較するとめちゃくちゃ高く売れる。
するとそういう商品を企画する側は、
大した差がなくても販売サイクルを早めて、どんどんと自分たちが過去に売ってきた商品を古いものにしよう。
とします。
となると、何が起きるかというと、本当に次のモデルにふさわしいような機能の向上や企画の見直しにお金や時間を費やしにくくなってしまう。
車なんかは4年とか5年のスパンで販売するというのが結構どこの国でも行われていますが、例えば10年くらい前に流行っていたガラケーなんて、半年に一度新しいモデルが出てましたね。
あんなことをやっているから、しょーもない機能追加とかデザインチェンジに開発コストが取られてしまって、大きな変化を見逃してしまう。
だって、携帯電話なんて最も日本人が得意とするような小さい精密な機械なのに、今やAppleとSamsungと中国メーカーしかいないでしょう。
こういう、大きな流れに乗り切れない。という弊害が企業側に生まれる。
それはもちろん中古市場の不活性だけが原因では無いけれど一因はあると思います。
・変わりつつある考え方
でも、最近のひと、というとおじさん発言ですが、はモノに興味がない。
僕は昔から自動車好きだったので自動車いいなぁ。と思っていましたが、大学の同窓生で投資銀行や商社で働いてるひとなんかは、ものなんかいらなくない?常々言っていました。
その感覚は昔の僕にはなかったのですが、今やっと彼らが言っていることがわかってきた。
つまりモノ自体には価値がなくなりつつある。
なんでかというと、革新的な商品とかって、モノ単体では達成できなくて、価値を提供する最終的な機械がたまたまそのものであるだけでいろんなものと絡み合ってる。
例を上げれば iPhoneがヒットしたのは、あのモノ自体が優れていたことに加えて、WebベースのメールやiTunes、Appstore等、そのものを中心とした一つのサービス提供商品群があるからこそ。
YoutubeやLineが使えないiPhoneなんていらないですよね。
だから結局今の人達は、ものはもの。でも得たいものはコンテンツだったりコミュニケーションツールだったりする。
(まあ、日本人のiPhone信仰は世界一ですからまだまだ所有欲というかブランド志向が抜けきっていないのは間違いないですが。)
車もそうですね。
カーシェアリングがあっさりと受け入れられた背景には、若い人が車なんかマジで無駄。と気付いたから。
一部のマニアなひととか金持ちが車は買えばいいじゃん。と考えるのが普通だから。
家もそうですね。
賃貸だろうが中古だろうが全く気にしないひとが沢山増えるはず。
新築戸建とか新築マンションなんてコスパ悪すぎ。ということにみんな気づくでしょう。
今や、ものはいかにシェアするか。がクールなんです。
いかに無駄なくシェアして、全員が買うよりも圧倒的に安く、利便性を損なわないこと。
これが大事。
中古品だって、要するに使用タイミングのシェアです。
最初のひとが70%のコストを払って最初の1年使える権利を買う。
んで次の人は30%のコストでその後の1年に使える権利を買う。
ものはひとからひとへ流れていくのが当たり前で、シェアされるのが当たり前。
自分が所有できるものなんて殆ど無い。
・ものを持たないことの価値を再確認。
断捨離ではないですが、ものをいかに持たないか。持つとしても必要なタイミングに必要な分だけ持つか。ということをスムーズにできるかが、消費する側に求められている能力だなぁと改めて実感。
ものが売りやすい世の中であってもやっぱりものを売るのは面倒くさい(笑)
値段を決めて、交渉をして、連絡をして、、、、、、
販売にかかる労力を考えると10ドルくらいにしかならないものとか捨ててしまったほうがいいのでは?と思います。
今回の教訓は、ものを買う時に、Exit戦略を立てる必要べきだ。ということです。
不動産とか株のトレードと同じで、
今このタイミングにこの値段でこのくらい買って、何年持って、いくらで処分する。
こういうことを全ての消費活動でしていく必要が求められている。
消費財や食品は若干色味が違いますが、家具家電、車、家、マンションなど、形あり、陳腐化していくモノはExit戦略をしっかりと立てないと、
使わない/場所取る
高かった
売るのが大変/処分にお金がかかる
というデメリットのオンパレード。
ものはなるべく持たずに、使う分だけレンタルしたり、シェアすべきです。
単純計算すると保有したほうが安いものでもその周りにあるたくさんのデメリットの可能性や面倒を考えてみてください。
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ちなみに、この考え方がちゃーんと進めば借金に対する抵抗も薄れていくはずです。
なぜかって?
一括でお金を払うデメリットまでものの購入は含んでいるんです。将来使わないかも知れないものに対して。
もしも使う分だけ使う時にお金を払えれば、その間、お金を運用することも可能です。
これは家計では応用辺ですが、企業活動では基本中の基本。
お金をためたいひとにまずやってほしいこと。不用品を徹底的に捨てること。
無駄なモノ買ってしまったーーー。
というのが最も無駄なことなんだなぁと常々思っています。
だって、お金を払って、無駄なものを買って、さらにそれを保管する場所代まで家賃のうちの一部として払っている。これは最悪。
でもなかなか有用なモノだけ買うってできないですよね。
んで、それをするためまずやってみてほしいのが、不用品を徹底的に捨てる。ということです。
少なくとも1年使っていないモノは思い切って捨ててみましょう。
かなり精神的にやられる作業ですが、もう二度と不要なものは買わないぞ。と心に誓えます。
捨てないとなんか資産としてまだ生きてる感じがするのですが、完全に負債ですよね。
いつか使うかも。という考えを捨て、本当に必要なもののみを買うということが進むでしょう。
マゾな人は結構気持ちいいかもしれませんよ。
あーー、2万円もしたジャケットがーーー。
といいながらゴミ箱に投げ込む作業です。(笑)
東芝の凋落は売上減が原因 / 自分の会社が不正に手を染める or 大規模なリストラする前に転職しちゃったほうが無難。のススメ
どこでも言われていることですが、改めて書きます。
東芝が潰れかけててぼろぼろな理由は、必要なタイミングに必要無いものをキレなかったことです。
だめになって、だめになって、そんで不正に走っている。
もともと不正があった体質なのではなく、もうだめだーーーー!ってなったから不正を始めた。
ってことはですね、業績が危うい会社、そして簡単にリストラできない会社は東芝予備軍です。こりゃ間違いなし。
その見極め方としては、ずーっと安定している、商品ポートフォリオに変化が少ないグローバル企業です。
理由は2つ。
1. グローバルに戦っている市場でずーっと安定なんてありえない。
2. グローバルに必要とされている商品って毎日の様に変わっている。
なのに、同じ商品を売り続けて、売上維持とかそれはどこかで無理をしている証拠。
もう、皆さん気づかれていると思いますが、自動車産業なんて既にかなりやばい状況です。
鉄鋼、繊維、電機と様々な産業で業界再編が行われてきた様に、ここ5年のうちに自動車産業には、生き残っていける企業連合 と 不正に手を染めかねない弱小企業の2つが現れるでしょう。
三菱の件とかで既にそれが浮き彫りになってきてはいますが、今後はどんどんとそれが進みますよ。
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こういう流れの中でまずはじめに貧乏くじを引くのは部品会社の人々です。
トヨタとか日産とかHondaとの取引が全売上の7割を超えます。みたいなところは本当にやばいと思っておいたほうがいい。
なぜなら日本では、大手企業に対しては政府と銀行が延命措置を講じる可能性が高いけど、下請けとか孫請けはびっくりするほどさっさと切りますから。
特にエンジンまわりの下請け会社はあっという間に滅ぶ可能性大です。
それは小学生でもわかるくらい簡単な話ですよね。時代が変わっています。
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先進国は軒並みエンジン車の販売を停止します。
日本はそれに従わざるを得ません。なぜなら資源を持たない国なのでアメリカみたいに独自路線を走っていけるだけの余力がない。
環境立国!とか叫んでいるわけで、まさか排気ガスがでる車なんて作らないよね?と国際社会に思われています。
むかーしから言われていることでしたが、環境のことを考えるなら、自動車なんか作るな。ということが現実になっているのがここ3ヶ月で起こったフランス、イギリスの宣言です。
あの中国ですらEV化を加速しています。
これは日本は抗えない確固たる流れです。
燃料電池車なんか作っている暇があったらEVのインフラでも整えて置くべきだったのですね。トヨタの暴走を誰かが止められていれば・・・残念。
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さあ、今自動車会社や部品会社のエンジンまわりの仕事をしているあなた。
本気で人生考えたほうが良いと思います。
年代別におすすめのアクションプランを書いておきましょう。
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あなたが60代ならば、そのまま逃げ切れますから大丈夫。自分の会社人生とともにエンジンはなくなったなぁと、哀愁漂う会社人生の最後を迎えられます。企業年金は減るけれど社会保障も破綻前なので贅沢を言わなければ生きていけます。
あなたが50代なのであれば、残念ながら手遅れと言わざるを得ない。整備系の仕事に転職したほうが無難かも。今たくさんの仕事を抱えて10年先までのプロジェクトがあるから大丈夫と思っていても、市場がいらないと言えば、そんなプロジェクトたちは速攻で消え去りますから気をつけたほうがいい。
40代のあなた、この1年で見切りをつけないとまずいでしょう。自分が50代になった時に、市場規模が縮小している分野に大量の優秀だったひとがひしめき合っている状態です。エンジン技術を活かすのであればせめて産業用エンジン開発にシフトしましょう。
もしもエンジン技術を捨てる勇気があるのであれば、40代前半ならギリギリどっかが未経験として雇ってくれるかも?
30代のあなた、まだ新しいキャリアに挑戦するのは全然可能です。速攻で会社を辞めましょう。引き止める上司や部下にはこのブログのリンクを送って、俺は液晶テレビが売れるとわかっている今に、ブラウン管のテレビなんて作りたくないんだ!と電機業界の歴史を挟み、叫んで会社から走り出ましょう。機械の企画開発、設計、実験、調達に絡む仕事なんて山とあります。
もしも今よりも待遇が下がったとしても、会社が不正に手を染めた時に50歳という地獄よりはマシでしょう。投資でいう損切りを速攻で実施しましょう。
20代のあなた、もう自分自身で気づいていることでしょう。既にリクナビネクストに登録していて第二新卒や30歳前ならポテンシャル採用、みたいなところを見まくっていると思いますので、それをそのまま続けてさっさと脱出しましょ。特に大学名が通っているあなたならどこでも それなりに選考が進むと思いますから自信を持って。
大学生のあなた。自動車会社に入るのであれば、テスラ・モーターズくらいを見ておいた方が無難です。日本の自動車産業に飛び込むのは、水が干上がり始めている池に頭からダイブするのに近い。思いっきり飛び込んだら飛び込んだ瞬間に即死します。
もっと池の水が潤沢にある産業に思い切り飛び込んだほうがいい。
もちろん自動車会社しか入れなかった。的なひともたくさん出てくると思います。そんなあなたも配属では、グローバルな製造業を体感できるような仕事に就けるように頑張りましょう。転職を全く匂わせずにね。大きな会社は忠誠心という意味の分からないものをアピールしないといい仕事をやらせてもらえません。
10代の方。自動車は買うものではなく借りるもの、乗っけってってもらうものと強く認識しておいてください。あんなでかくて高いものは基本的には各家庭が買わずにシェアするものと心得ましょう。その上でトランスポーテーションに興味があるのであればそういった仕組みを提供しているIT会社や社会インフラを作る会社なんかもありです。
自動車というものを作る会社を見るのではなく、ひとやものを運ぶ。というものをどうやって実現させてどういう形で自分がそこに参加するのかを考えたほうが良い。
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最後に。
ここまで強く偉そうに色々書いているのは、自分がそういう状況から脱出したひとだから、自分を肯定したい気持ちがとても強く出ているのです。
何も自動車会社の全てが全然ダメだと言っているわけではなく、工場オペレーションやサプライチェーン・マネジメントなどはやはり世界一レベルです。これは間違いない。
作ってるものがエンジンかEVかの差が問題でこれは開発設計とか会社の方針を決めるお偉いさん方が無能なだけ。
将来のことなんてどうなるかわかりませんが、自分が頑張って会社の利益を一円でも高めようとしてきた会社が不正に手を染めたら悲しいはず。
そんな気持ちにたくさんのひとがなるのであれば、さっさと脱出したほうが幸せだと確信しています。
知り合いの東芝に勤めているだんなさんの奥さんは、恥ずかしくて旦那さんの社名を言えないんですって。その人が悪いわけではないですが、東芝のせいでたくさんの従業員や日本という国がどれだけ混乱したかをよくわかっているひとなんですね。
長い間、東芝に勤めているのが誇りだったであろう旦那さんの精神状態やそれが波及している家族の今後を考えると悲しい。
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この2年で、業界の勢力図が大きく変わっている自動車。なのに日本は未だになんの変化も無いように感じませんか?
そのギャップを一気に埋めるように変化がおきます。破壊的イノベーションというやつです。
カイゼン活動を何百回繰り返したところで、エンジンの排ガスは0にならないし、自動運転は達成できない。
外から破壊される前に自分自身を破壊したいと思っている経営者も多いはずですが、それは中々できないものです。
エンジンの技術者をいきなり半分になんてできないでしょ?
だから残念ながら、彼らのクビが切られるタイミングと言うのはリストラ。という、状況のみなんです。
私のこの文章は、自動車会社の経営層が見たら、従業員に読んでおいてほしいと思われるようなものであると思っています。
だって、会社が切る前にかってに辞めていってくれればそれのが会社にとっては都合がいいわけですから。
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あ、ちなみに、アメリカのいい会社では速攻でひとのクビが切られる代わりにドンドンと新しい技術を持ったひとが入ってきます。それが文化です。それが当たり前です。
ダメになる前に脱出する。
たとえダメにならなかったとしても、脱出行為時代に意味がある。
そう考えられているのが世界経済の王者、アメリカの考え方です。
高い目的を掲げる具体的な意義
よく
目標は高く。
と、言われてきました。小学生とか中学生のときに。
その当時はその意味を正しく理解できていませんでした。
多分、それを唱えていた先生たちも理解していない人が多かったはずです。
今、自分で仕事をして生活するようになって、目標が低い、というか小さい範囲に留まっているととても危険だと考えることが多くなりました。
それは、自分の非力さをとてもとても理解し始めているからです。
例えば、今月の売上前年比120%。という目標があるとしましょう。
この目標を素直に信じてそのために努力をします。
ある人は達成して、ある人は達成できなかった。
達成できた人は褒められます。
達成できなかった人は褒められません。
達成できた人はすごく、達成できなかった人はすごくない。
そういう風に考えてしまいます。
ただ、僕は本当にそれはその人個々人の能力の差なのか?と疑問に思うことがしばしばあります。
ただ、勘違いしてはいけないのは、結果を全て外部要因のせいにしてしまってはだめですよ。
もちろん、うまくやっている人からなんでも盗んで成長することはとても大事なのです。
でも、その月の売上という局所的な目標はもっと大きな目的のためにあるはずです。
年間の売上のために月間の売上があるということではなく、そもそも高い売上を達成する意味は何なのかということを考えなくてはいけない。
それは企業としては当然のことなのかもしれないけど、もしかしたら円高で全く利益が出ていない状況かもしれない。だったら売らないほうがいいという年もある。
今の製品はもう世の中から根本的に求められておらず、製品力が著しく低い。
こういうことも考えられる。
だから何が言いたいかというと、会社に対しては多少の頑張ってますアピールを忘れては行けないけど、自分個人としては、もっともっと大きな目的とか目標を前提に日々を頑張ったほうが精神衛生上いいと言いたい。
じゃないと、その結果が全てで、それがだめだと人生もだめ。みたいになってしまうのではないか。
また、同じ大目標を達成するために他の手段を考えるということもしなくなってしまいます。
何れにせよ、小さく小さく物事を考えすぎてしまうと、自分ではどうすることもできないようなことを自分のせいだと思ってしまう。それは辛い。
だから人生の目標を、例えば80歳になっても孫とキャッチボールできる強い体。みたいにトンチンカンな遠い先にしてしまって、今の日々の目標を相対的に小さいモノにしてしまいましょう。
そうすれば、ベクトルの方向さえ間違わなければだいたい自分の大きな人生の目標に対して一歩一歩前進できているはずです。
転職だって、そういう風に考えないと決断できませんよね。
仕事の目的は、その仕事はどうやったら無くせるのか考えること。
あんまり考え方がまとまりきっていませんが、備忘録的に書いてみます。
明確な根拠などは何も無いですが、おそらく本当に仕事を上手に片付けられる人は、その仕事自体を最終的に無くせる人ではないかと思い始めました。
どうやったら今自分がやっているこの仕事をより簡単に、正確に、誰でもできるように一般化できるか。ということを常に考えている気がします。
その対極にいるのが、言われたことを延々と繰り返す的な働き方を好む人です。
その人はおそらく効率化は頑張って進めているとは思いますが、ある程度のところまで来ると、惰性で仕事をするようになる。
慣れて手を抜いてもできるようになるというフェーズですね。
でもこれではその個人も会社も成長が止まってしまう。
自分のしごとを確保し続けたいという考え方を持っている人はこういう考え方をすると思いますが、普通なら、飽きるはずです。
この飽きというタイミングの前に、今のしごとを離れられるような仕組みを作れるかどうかが、その人が次の仕事を始められるかどうか、つまり一歩ステップアップできるかどうかにつながります。
またこういう風に、仕事にすぐに飽きる人は、無駄な仕事もやりたくない人が多いので当然仕事量に対するアウトプットが人よりも高くなります。
その部分をちゃんと理解している会社であれば、その人の評価はとても高くなるでしょう。
素人が日本企業のコアコンピタンスを考えてみる
djooです。
新卒就活生になった気持ちで、日本企業が世界に誇れる強さの源泉(=コアコンピタンス)は何か考えてみます。
何度も何度も書いてきましたが、日本企業が成長してこれた一番の理由は人口の爆発的増加です。
この強みがなくなった今、何を武器に世界と戦うべきなのか。
はたまた戦うべきなのか。
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日本がものづくりでやっていけると、未だに信じて疑わない人がいることに驚くことがありますが、その技術やら設計開発力なんてものは今の時代では強さの源泉にならないのは当たり前ですね。
最終製品を見ているとわかりますが、5年前の高級スマホは現在の格安スマホに敵いません。
要するに、せいぜい5年でその技術は市場では通用しなくなるような時代です。
商品やサービスを売る/作る上で本当に競争力となるのは以下のようなものがある。
1. 地理的条件や長い歴史の中で醸成されてきた文化を使った商品サービス
>レアアースが必要な電池
>農産物 / 海産物 などの地理的条件を人工的に作ったとしてもコストパフォマンスが見合わないようなもの(ビニルハウスや養殖でどこでもなんでも育てられるかもしれませんが、それに見合う採算が取れない)
>日本古来の建物を資源とした観光
>雪山や地中海性気候を楽しむ観光
>長い時間かかって醸成されてきた文化が醸し出す街の雰囲気や人の雰囲気
こういうものは良さをしっかりとアピールできればまだまだ日本が世界に売れる余地があります。
売り方が悪いだけ。
2. 機能や性能の進化がほぼ止まったような商品における圧倒的なブランド力
>資生堂の高級化粧品、SEIKOの高級時計、和食器や着物などの日本文化を強みとした商品などブランド力がある商品
それらは技術開発やコスト競争をしているわけではなく、あくまでの消費者に根付くブランドイメージを武器に戦っているからです。
資生堂の高級化粧品でなく、ニベアクリームだけでも全く肌に問題なかった。というようなブログ記事が結構出回っていますが、女性自身にとって、高い金を出して資生堂を使っているという満足感をニベアが与えるのは難しい。
要するにキャバクラに行っていい気持ちになるおっさんと同じようにそういうものでいい気持ちになりたい女性は一定層いるわけで、そういう人たちへの満足感を売っているブランドものはなかなかなくならない。
いつまでたってもエルメスやヴィトンのバッグが売れるのはそういう理由です。
圧倒的に合成繊維のバッグのほうが機能が優れていてもそれらのバッグは何十万、何百万という価格で売れる。いわば芸術品を売っている感覚ですね。
3. めちゃくちゃ作るのが難しいとされている一部のモノ/特許をとった圧倒的な製品
自動車のエンジンや原子力発電所、航空機など、一部でまだまだ設計開発生産が難しいとされているものもあります。
しかし、例えば自動車なんぞは、そのうち全てがEVに変わっていくのは自明で、パソコンの組み立て同様あっという間に製造技術が必要なくなる時代が来ます。
原子力発電所も作るのが難しくリスクが大きいものですが、太陽光発電でそのうち全ての電気が賄われるようになるでしょう。だからそんな技術は必要なくなる。
例えば航空機を完全に自前で作れるようになればしばらく、アメリカ勢との競争は厳しそうですがしばらくやっていけそうですね。
ユーグレナがミドリムシの培養を完全に支配できればエネルギーや栄養ベースの食に関してはかなりの競争優位を保てるはずです。
これらは著作権の問題も絡みますが、ディズニーが未だに世界で一番のコンテンツ制作会社なのはミッキーマウスの著作権をあの手この手で抱え続けているディズニーの政治力のおかげです。
5. 常に時代の流れに合わせて企業の業態を変えていける経営陣を保ち続けられる企業文化
ちょっとトリッキーなくくりですが、トヨタがエンジンに関わっている人全てを解雇して関連会社を全て潰すようなことができればトヨタはEVの会社として戦っていけるかもしれません。
要するにトヨタって昔はエンジン車を作っていたらしいよ。みたいな状況が作れればOK。そういう企業文化があれば生き残っていけるはず。
医療機器で世界一のGEってもともとは電球作ってたらしいよ。みたいなことです。
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さて、まだまだ抜け漏れがたくさん有りそうな感じです。
冒頭に書いた、就活生になった気分で。という部分に関して触れます。
せっかく今まで書いてきてあれなんですが、50年後に生き残っている企業に入ろう、そしてそのために強い会社に入ろう。なんて思っていたらそれは投資家の目線ではOKですが就活生としてはNGです。
なんかせっかく考えてきたのに無駄だな。と思わないでください。
なぜかというと、最初に入る企業が生き残るかどうかなんで就活生、これから社会に出る人に取ってはあんまり関係が無いことだから。
そんなことよりも、自分自身を上のような条件に照らし合わせて、ずっと価値を提供できる個人になれるように考えることが大事。
いつまでも価値を提供し続けられる人になるにはどうしたらいいのか。
そしてそのために自分は社会人最初の職場をどこにするのか。
そういう風に、自分を会社のように考えて就活することが一番大切です。
それは起業家精神とときに呼ばれますが、会社に所属して給料をもらうという考え方から、世の中に価値を提供して世の中から対価をもらうという考え方に発想を変えてみてください。
そうすると、より自由に自分らしく自分にマッチした企業を受けることができます。
まずは自分らしく考えた結果、浮かび上がってくる会社を選ぶことをしないと入社できないし、入社できても活躍できないし楽しくない。
モバイル通信の歴史を勝手に振り返ってみる。そして格安SIMの次とモバイル通信の未来を想像してみる。
はじめに
スマホの維持費を格安に抑える方法を考えているときに、
「今後のモバイル通信はどうなっていくんだろう?」
と考えてみました。
企業や技術動向を調べたわけではなく、自分の考え(予想?)をまとめてみます。
過去を振り返ってみる(年数は適当)
通信に関するサービスは毎年のようにそのスタンダードが変わっています。
20年くらい前?はドコモやKDDIなどの折りたたみの携帯電話が主流でした。
「パケット」という今では全く使われない独自のデータ単位も存在しました。
パケ・ホーダイという今の子達が聞いたらなんだかわけの分からないサービスが主流で日本ではデータ通信は使い放題というのが当たり前とかんがえられるようになります。
iモードなどのキャリア専用のサービスが主流だったのは、まだまだPC用のサイトはデータが大きすぎたため携帯用には不向きでした。
その後、5年前くらいまでは、大手キャリア3社がスマホとiphone市場を独占。
「2年縛り+端末料金無料」
最初から最後まで残り続けた日本メーカーは、ソニーくらいでしょうか?
日本メーカーの凋落を横目にサムスン電子が世界一のスマホメーカーになっていきましたね。
このときにソフトバンクが大きく躍進しました。
理由はiphoneなのですが、実はその当時docomoやKDDIからもiphoneではないスマホが出ていました。
かくいう僕も、日本で最初に大手キャリアから発売されたAndroid 端末を使っていたわけですが、全くユーザーが増えなかった。
それは何故かと言うと、@docomoのメールアドレスが使えなかったから。
その当時、携帯ではまだ主流ではなかったGmailが必要だった。
僕はGmailを2008年くらいから使っています。
Gmailの誕生が2004年なので4年後、とかなりあとですが、それでも当時は先進的だった。
もともと、hotmailをずーっと使ってきていましたので、クラウドサービスのメールに抵抗はなかったし、PCと連動されるならちょうどいいやということでさっさと乗り換えられたわけです。
その後、各社は自社のメールアドレスが使えるスマホを売り始めます。
自分のキャリアを使ってくれている一番の理由がEmailアドレスであるというのに、スマホではそれがつかないというのはおかしな話です。
無事に各社は自社のアドレスを使えるスマホを販売できるようになり、iphoneも各社から販売されるように。
通信速度の増強とカメラ技術の進歩により、デジカメとカーナビが携帯に取って代わり始めたのもこの時期。
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んで、一気に話は進んで、ここ7、8年位でシムフリーという考え方が一般的になり、「格安通話SIM」が登場、そしてあっという間に主流に。
実は、2001年にはすでに、b-mobileが想移動体通信事業者(かそういどうたいつうしんじぎょうしゃ、英語: Mobile Virtual Network Operator, MVNO)第一号としてサービスを開始していました。
僕も2010年くらいには、docomoでは通話のみを契約してb-mobileのモバイルルータで通信をするという状況を作っていましたが、それでもサービスが開始されてから10年もあとに初めて購入したんですね。
更に、イオンとかヨドバシみたいな小売店が参入してきたことで通信に疎い人でも格安サービスを享受できるようになった。
ちなみに、携帯価格に関しては、北米よりも日本の方がコストパフォマンスがいい。
孫さん率いるソフトバンクが、Sprintを買収したときに
「中国の空がスモッグで曇っているようにアメリカの上空にも高額な携帯料金というスモッグがかかっている。僕はそれを取り除き、青い空を見せる。」
というようなことを言っていました。それくらい日本のモバイル通信は進んでいるということです。
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さて、では、これらの変化の根底にある大きな流れを考察してみます。
キーワードは
1. 通話 → データ
2. クローズド → オープン
3. 個 → 公
この3つです。
一つ目の 通話→データ と言うのは、コミュニケーションに用いられる電波の種類が通話帯域からデータ帯域に一気に変わっていったということ。
通信速度が飛躍的に高くなった3G通信あたりから、SkypeやLINEでの電話が使い物になるようになった。
次にクローズド → オープン というのは、端末と通信先の2つで起こった変化。
端末の方は、SIMフリーが実現したこと。
これによって、端末と通信をそれぞれ別々に選べるようになった。
これがなければ格安SIMは成り立たない。
通信先というのは先程あげたimodeでは無いけれど、過去のモバイル通信では通信先がある程度固定されていた。
しかし、今では、その全てがインターネットのみで完了できるようになったということ。
先に上げましたが、@docomoとか@softbankのメールアドレスの代わりにGmailやLINEやFB(ちょっと昔はmixi)でコミュニケーション取れるようになった。
これもキャリアにこだわらなくてもいい大きな理由。(今でも@docomoにこだわっている人とかいるんでしょうか?)
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さてさて、ここからは未来予想です。
最後は量子コンピュータとかAIの話まで突っ走ります!(笑)
まずは、直近、あと1年か2年くらいでスタンダードになるのは「IP電話」のみを保持する人の爆増です。
固定電話も携帯電話もすべてがIP電話化されていくでしょう。
僕が選んだコンビネーションですが、「データSIM+IP電話」の組み合わせが主流になります。
通話SIMからデータSIMに大量に人が流れ込みます。
そのうちあまった通話のための帯域をデータに割り当てるということを総務省が発表するでしょう。
楽天ではすでに、この流れを汲んで050データSIMなるサービスの提供を始めています。
(今のところ、僕はこれをおすすめしません。050の番号取得のために月額100円程度のお金が取られているから。SMSを必要としないのであれば、ただのデータSIMとサードパーティのIP電話サービスでOK)
これで、通話用の電波を全く使わなくても事足りる。という状況がやってきたわけです。
しかしこのIP電話も一過性の人気で終わる可能性がある。
と言うか電話番号自体がなくなる可能性が高い。
もしもすべてのコミュニケーションがLINEやGmail、Skypeで済むとしたら、電話番号なんて持つ必要は無いわけです。
電話は公共性が高いサービスですから公共機関や企業は持ち続けるでしょうが、個人や小さな店舗では電話番号を持っていません。となるものが増えます。
連絡はメールかSkypeかFBかLINEで取り合う。というのがより当たり前に、より一般的になります。
結局古いものとのつながりが必要だからやむを得ず電話番号を持つわけです。
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さて、大きな流れの3つ目の「個 → 公」というのは簡単に言うとクラウドサービスです。
昔はメールは端末に保存されるものだったんですよね。
機種変更のときにデータを移す必要があった。古い携帯電話をずーっととっておく人もたくさんいた。
それは写真とかメールが端末に保存されてしまっていたから。そういう意味で端末やキャリアの縛りがすごく強かった。
しかし今ではLINEやFBのデータにはどこからでもアクセスできるし、端末が変わっても情報は引き継げる。
写真もGoogle Photoを使えば端末に保存する必要は無い。
電話帳もGoogle コンタクトに保存されていたり、iphoneのiCloudに保存されているから端末やキャリアは関係ない。
ちょと話が長くなってしまいましたが、こういった「個 → 公」の流れを完了することで、モバイル通信の大きな変化は終わりを迎えるのでは無いかと思っています。
その最後の変化、「個 → 公」はSIMカードが無くなることで完了します。
これが今、僕が考えられるモバイル通信の最終形態です。
公衆Wi-Fiがメジャーに。
いずれ、SIMカードがなくなり、Web上のアカウントをKeyにしたWi-Fiアクセスのみでどこでも通信ができるようになるはずです。
東京や横浜などでスマホのWifi電波表示を見ているとわかると思いますが、どこでもいろんなWifiが飛んでいますよね。
そのうち、23区内カバー率99.99%とかの公衆有料Wifiが出てきて、東京に勤める大半の人は、その契約のみしていればどこでもネットや通話ができる。という状況ができるはず。
ただし過渡期には、SIMはバックアップとして契約が必要になるでしょう。
多分、プリペイドSIMが主流になります。
「3,000円 / 10GB」
とかこんな感じの。
今は「格安SIM」という言葉で販売がされていますが、そのうち「格安公衆Wi-Fi」と格安端末のセットが売られるでしょう。
端末と一緒に購入することで、公衆Wi-Fiの使用が期限付きで無料でできるセットです。
購入するのはネット上のアカウント。なのでSIMの新規契約手数料のようなものもなくなります。
乗り換えもあっという間。
価格比較サイトでどんどんと安い公衆Wi-Fiができてきますから。
アンテナを持っている大手キャリアは今の携帯用のアンテナをSIMなしでつながるように改造していきます。
(これはできるのかどうか知らないけど・・・)
最後にIoTやAI、量子コンピュータについて簡単に書きます
これらの流れが何を意味するかというと、通信機能さえ持たせておけば、すべてのものが、いつでもどこでもつながっていく、ということ。
アメリカのamazonが発売し今年のヒット商品番付横綱間違い無しなのがECHO。
これはスピーカーのような形をした通信端末です。
話しかけることでWi-Fi経由で直接amazonのカートに商品を追加 / 購入を完了することができる。
以前流行った、amazon dashなども同じ仕組み。
これは今は家のWi-Fiのみで動いていますが、そのうち公衆Wi-Fiでもできるようになります。
SIMカードが要らなくなったときには、靴にも服にもメガネにも超小型の洗える通信端末が搭載されて、歩くときの振動のちからを使って、発電して発信するということが普通になっているはずです。
そして歩数や移動距離、汗や体温情報、見たものや聞いたことすべてが自分のGoogleのサーバーにつながる。
その上でそのサーバーはスマホに対してそういったインプットから導き出される、アウトプットを提案するようになるのです。
膨大なデータを処理し適切なアドバイスを出す。これこそがAIに求められている能力です。
人間が今やっていることに限りなく近い選択を膨大なデータの統計から導き出す必要がある。
「今日はもう1万歩のウォーキングを完了しました。これで15日連続達成ですね。先月の3日に彼女に送った宣言メールを見事に達成です。達成記念のメールと先ほど公衆監視カメラが撮影した写真を送っておきますね。
さて、体温が上がっているからこの先15m先にあるコンビニで栄養ドリンクを飲みましょう。なぜなら発汗量が多く、朝から食べているカロリーではやや足りないからです。
そのコンビニでは今キャンペーンをやっているのでこのクーポンを使いましょう。クーポンはすでにサーバーに登録済ですので、指紋でお会計をすればクーポンが適用されますよ。」
自動運転が盛り上がり始めている自動車もその一つ。
通信機能を備えておけば、契約されている公衆Wi-Fiを経由しながら常にサーバーと車がつながるようになる。安定通信ができる状況であれば、個々の車はセンサーと通信機能を備えるだけでよく、計算は集中管理されたGoogleのサーバーで行えば良いわけです。
ここで必要になるのが量子コンピュータ。
時速100km/hで走っている自動車からの膨大な計算を瞬時に実施して車を操作する必要があるからです。
NVIDIAが開発しているチップは個々の車に搭載する簡単な処理ができるチップですが、将来的には通信速度と安定と量子コンピュータによって、ブレーンは一箇所でOKになる。
実はこれらのことって結局は今人間がやっていることなんですよね。
情報は今のスマホにだいたいあるか入力している。
でもつながっていない。
これらをつなげて一つのアウトプットを出すために必要なのが
目と脳みそ、つまり、IoT(センサー) と AI(ロジック) + 量子コンピュータ(計算速度)です。
あとがき
こう考えてみたときにどういった企業が情報通信の分野で強く生き残っていくのか想像できます。
最終的に行き着くのは、アンテナを持っている大手キャリアの安定感は抜群だということ。
すべての情報は結局のところアンテナと電波を通さずには通信できない。
通信料は今後も指数関数的に伸びていく。なにせ、人間の行動、一挙手一投足すべてがデータ化される時代がもうすぐそこに来ている。
今はアップルやサムスンなどの機器を作っているメーカーが台頭していますが、最終的にはサーバーでの情報処理と通信インフラ。この2つが勝つはずです。
端末はただの目や耳になるだけ。モジュールができてしまえば誰でも作れるものになります。車ももちろんそうです。
アメリカのIT各社がAIの研究に巨費を投じている理由はつまり、結局のところデータをどうやって処理するか。ということができないとサービスを提供できないとわかっているから。
そして、どこよりも先に、Googleのサーバーが一番。となれば他は何もいらない。
Googleアカウントですべてがつながり、Googleサーバーの処理が人間を助けていく。
そしてGoogleはサーバーをつなげて情報処理させることはできるけれどもそのサーバーのブレーンであるチップはインテルやNVIDIAが作っているわけです。
(孫さんが英アームを買った理由は個々です。結局インテルにチップの設計図を納品しているのはアーム。アームの設計図がないと、インテルがチップを作れずに、Googleがサーバーを作れずに、集められた情報を処理できずに、情報を集めるためのセンサーもアームがいないと作れずに、、、という風な、ある意味食物連鎖の頂点にあるのがチップの設計図。なわけです。天才ですね、孫さんは。)
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おじさんやマスコミはSFのような世界、とこういう世界のことを言いますが、別にSFでもなんでもなくてその時代を生きている若めの人に取っては当たり前に感じるはず。
人生が長い人、すなわち若めの人は、おじさんたちと一緒に、SFとひとことで片付けるのではなく、そういう時代は誰によってどうやって作られ、そしてその時代にはどんなものが、どんな人が求められるのか。を考える必要があります。