高い目的を掲げる具体的な意義
よく
目標は高く。
と、言われてきました。小学生とか中学生のときに。
その当時はその意味を正しく理解できていませんでした。
多分、それを唱えていた先生たちも理解していない人が多かったはずです。
今、自分で仕事をして生活するようになって、目標が低い、というか小さい範囲に留まっているととても危険だと考えることが多くなりました。
それは、自分の非力さをとてもとても理解し始めているからです。
例えば、今月の売上前年比120%。という目標があるとしましょう。
この目標を素直に信じてそのために努力をします。
ある人は達成して、ある人は達成できなかった。
達成できた人は褒められます。
達成できなかった人は褒められません。
達成できた人はすごく、達成できなかった人はすごくない。
そういう風に考えてしまいます。
ただ、僕は本当にそれはその人個々人の能力の差なのか?と疑問に思うことがしばしばあります。
ただ、勘違いしてはいけないのは、結果を全て外部要因のせいにしてしまってはだめですよ。
もちろん、うまくやっている人からなんでも盗んで成長することはとても大事なのです。
でも、その月の売上という局所的な目標はもっと大きな目的のためにあるはずです。
年間の売上のために月間の売上があるということではなく、そもそも高い売上を達成する意味は何なのかということを考えなくてはいけない。
それは企業としては当然のことなのかもしれないけど、もしかしたら円高で全く利益が出ていない状況かもしれない。だったら売らないほうがいいという年もある。
今の製品はもう世の中から根本的に求められておらず、製品力が著しく低い。
こういうことも考えられる。
だから何が言いたいかというと、会社に対しては多少の頑張ってますアピールを忘れては行けないけど、自分個人としては、もっともっと大きな目的とか目標を前提に日々を頑張ったほうが精神衛生上いいと言いたい。
じゃないと、その結果が全てで、それがだめだと人生もだめ。みたいになってしまうのではないか。
また、同じ大目標を達成するために他の手段を考えるということもしなくなってしまいます。
何れにせよ、小さく小さく物事を考えすぎてしまうと、自分ではどうすることもできないようなことを自分のせいだと思ってしまう。それは辛い。
だから人生の目標を、例えば80歳になっても孫とキャッチボールできる強い体。みたいにトンチンカンな遠い先にしてしまって、今の日々の目標を相対的に小さいモノにしてしまいましょう。
そうすれば、ベクトルの方向さえ間違わなければだいたい自分の大きな人生の目標に対して一歩一歩前進できているはずです。
転職だって、そういう風に考えないと決断できませんよね。