15年前、大学教授が予想した「自動車はエンジンで動き続ける。」は大きくハズレた。 ガソリン車の終焉
djooが大学生だったころの話。
熱力学の教授が授業中にこう言いました。
「自動車のエンジンが電気に置き換わることは当面は無いだろう。
走行可能距離、価格、パワー、どれをとってもガソリン車やディーゼル車にはかなわない。
特にF2E(Fuel to Energy:化石燃料から取り出せるエネルギー)の観点から言うと、電気自動車を作るために必要となる化石燃料は引き続き大きく、環境負荷が叫ばれている今の事業環境から考えても量販化は難しい。」
そして、昨今の日経新聞。
そう、すでに巻き返し。という表現が使われるほど自動車の電動化は進んでいるんですよね。
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■未来は誰にもわからない。
その当時、学生だった僕は将来の進路として、エンジニアを考えていました。
そういうプロパガンダが政府や経団連から熱心に発信されていた時代であり、
メディアも今ほどwebに推されていない時代でした。
大きくて有名な会社が強くて偉くて、正しいと信じられていた時代。
銀行も証券会社も自動車会社も自分たちが停滞している日本を救うんだ。と本気で言っているように勘違いするような時代。
そんな時代背景も相まって、当時工学部の権威ある教授が発した
「エンジンはまだ大丈夫」
という言葉は多くの学生に信じられていたはずです。
しかし、たった15年で、
「エンジンはこれからも大丈夫」
といえる人は殆どいなくなったのは間違い無いでしょう。
どんな専門家でも未来を予測することはできないんだと強く実感しています。
■エンジンの専門家が見越せる未来は局所的
結局、エンジンの専門家はエンジンのことしかわからない。
この15年間で、電動化を推し進める世の中が生まれたキッカケになったものは、決してテクノロジー関連の話題だけではありません。
むしろ、政治 / 地政学 / 金融 / 人材、、、様々な要因により、
(結果として)電動化の世の中が進んでいます。
例えば
・リーマンショックの崩壊 → 既存産業の限界を感じさせる
・東日本大震災 → エネルギー問題が浮き彫りに / 東電解体で、大企業が正しいという考え方が神話となる。
・GAFAの台頭 → プラットフォームを制するものが強者であり、ハードはソフトのためのものに
・中国の台頭 → 安かろう悪かろうが安くて機能もそこそこ。という認識に。
・技術は模倣される/サムスンの台頭 → 日本人技術者が韓国に渡りサムスンやLGを世界企業に成長させる。技術は簡単に模倣され、性能だけで勝負できないことが自明に。(そしてサムスンも次なる驚異に怯える時代(ファーウェイなど))
・VW排ガス問題 → 世界トップメーカーの限界を露呈/欧州発のガソリン/ディーゼル車の開発規制がスタート
・(世界で)自動車所有価値が著しく低下 → UBERやAirbnbなどのシェアリングエコノミー、maas、saasが当たり前の価値観が醸成される
・Brexit / ギリシャ崩壊 / テロの脅威 / リモートワークの増加 。。。。。
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・バッテリー性能の向上 / テスラの台頭 → 自動車関連の話題
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とまあ、djooの少ないDBの中だけで考えても、この15年で起きたことはたくさんあり、そういう色々な情報や事件が結果として、
「ホンダ、電動分野で巻き返したい」
というニュースを誰も驚かないほど当たり前にしてきているんですね。
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さて、djooの学生時代の同期や知人の中には、内燃機関の研究をしているものが何人かいます。
彼らとの交流はすごく少なくなっているけれど、今、彼らは何を想っているのかすごく気になる。
「あなたの技術はすでに古く、これからどんどん使われなくなります。」
と言われたときに、どう、キャリアを考えていくのか。
例えば、伝統工芸品を作るような、そんなノスタルジックなものとして捉えてやっていくのか。
でもそんなふうに感じてもらえるほど古くない。
中途半端な斜陽技術にどっぷりとハマっている彼らの仕事人生で、今後、エンジンと言うキーワードでワクワクと楽しむことができるのか。
食いっぱぐれることもなければ、トヨタが明日にでも潰れて社員が路頭に迷うことはかなり低い確率でしか発生しないでしょう。
しかし誰もが、そんな
最悪な状況を想定して生きている=自分の人生の価値を低く見ている。
わけではなく、結構日本人はじめとして先進国のホワイトカラーはプライドが高いし、わがままだと思うんですよね。
死ななきゃいい。みたいな、マズローの欲求段階説の最下層を求めているわけではなく、
承認欲や自己実現を目的にしている人も多いハズ。
そういう、高位の欲求を満たし続けてくれるキャリアは、何もしない人にはおきないでしょう。