日米の文化の差から考える / ひとの管理と評価の考え方
アメリカ子会社に出向していましたが、日々思うのはひとを管理する考え方や評価する基準が日本時代と大きく異なると感じています。
どちらがいいかという話は置いておいて、僕が感じる日米の差を書きます。
■仕事の振り方
・日本
人に仕事が紐付いている。人ありきで、仕事を割り振る。
・アメリカ
仕事に人が紐付いている。仕事があり、人を雇う。
■管理の考え方
・日本
人の仕事を管理しようとする。日次、週次、月次、で何をやったのかを説明する。
・アメリカ
仕事を管理しようとする。仕事の進み具合や目標、マイルストーンを確認、修正する。人は仕事を管理する上での一つの要素に過ぎない。
■評価の考え方
・日本
人の良し悪しをそのまま評価しようとする。
・アメリカ
仕事成果が達成されたかどうかでそこに関わった人を評価する。
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例です。
例えば、日本にいたころは、評価されている人は何でも屋さんです。
気が利いて人当たりがよく、何をお願いしても卒なくこなす秀才タイプ。
一生懸命働き、週末や休みもなく、メールがすぐに返ってくる。
お願いする人は往々にしてその人の上司なので、その人のために働く。
一方でアメリカで評価されている人は
他社のしごとに意見を言える人です。
意外かも知れません。
要するに、会社全体の利益や会社が社会に提供できる価値を最大化するために必要なことを考えて発言することが求められています。
実は、これは日本ではなかなか実は難しい。
なぜなら日本ではジョブディスクリプションが明確ではないから、誰かの仕事に意見を言うと
「じゃあ、やっておいて」
となってしまう。
そうなるの、嫌ですよね。
だからあんまり余計なことはいわないようにするのです。
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これらの差は日米の文化の差からでると思っています。
なぜなら、色んな国からたくさんのタレントを集めて高いパフォーマンスを出さなければいけないアメリカ企業では、文化のバックグラウンドが異なる人たちを効率よく使う必要があります。
そこで拠り所になるのはやはり先程の、
「ジョブディスクリプション」
です。
明確に仕事の範囲が決まっている。というのは人の評価がしやすく、採用しやすく、管理しやすい。
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オウム事件では無いですが、場の空気を読もうとする日本的な考え方はときに組織を大きく間違った方向に導きます。
人の管理や評価の軸というものが、
「上の人の満足」
という企業に所属していることこそ、大企業に勤めている人々を無能化してしまう要因の一つと言って間違いないと思っています。
※ここで言う無能というのは、アメリカ的な無能さ。です。日本の大企業でずーっと出世していくのであれば有能でしょうね。