「面倒くさい」と感じたら改善のチャンスだよ。と子供に教えています。

djooは昔からものすごい面倒くさがり屋です。

 

子供の頃は「面倒くさい」と思うことは悪いことだと教えられます。

 

何かをやらなかったときに「面倒くさい」という理由は通りません。

 

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でも、実際問題、普通に生活していると面倒くさいと思うことが多々ありますよね。

 

私は、IT化戦略を作る仕事や事業創出に伴うオペレーション組み立てなどのしごとをしていますが、「面倒くさい」と思ったときこそ、そこに何かある。と考える様にしています。

 

そこになにかある。というのはつまり改善の余地がある=改善することで効率が良くなる。効果が高くなる。可能性があるということです。

 

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また、面倒くさいことを頑張ってやりきれる人は間違うと使えない人になってしまいます。

 

というのも、面倒くさいことの中でも、

1.面倒くさいことけどやらなきゃいけないこと

2.面倒くさいし、大事じゃないこと

の大きく2つがあります。

 

1.の場合、その面倒くさいことの先にはその作業でのちゃんとした効果や成果があります。ですので、それは面倒くさくてもやらなきゃいけないし、どうにか面倒くさく無くす方法を考えるべきものです。

「パソコン使って簡単にやろうよ」とか、「誰か得意な人に頼もう」とかもいいアイディアです。

 

2.の場合は、そもそもその仕事や作業自体をなくす方法を考える必要があります。

また優先順位も低く設定する必要があります。

つまり、「それってやる必要あるの?」と問いかけることで、無くなる可能性のある作業です。

 

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先に挙げた、頑張って面倒くさいことをやりきれる人は、1.と2.の区別がつかずに、なんでも頑張る類の人です。

 

そして、厄介なのが、学校にいるときには2.の人は優等生として扱われます。

 

 

つまり社会に出て仕事をするときに初めて、自分の得意としていたアプローチではなんだか仕事がうまくいかない。となるわけです。

 

そして、それを正すチャンスなく、新卒後3年とか仕事をしてしまうと、それがその人の一生の仕事のスタイルになってしまい、一生その人は「仕事のできない人」と言われてしまうわけです。

 

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djooも、おとなになってからは

「面倒くさいは悪いことじゃなくて、作業全体に無駄があったり、感覚的にやる意味がない作業に対して感じる感情」であると、捉え方を買えています。

 

自分の子供にも

「面倒くさいと感じたら、もっと簡単にやる方法を考えたり、やらなくてもいいような方法を考えてみてね」

と話すようにしています。

 

でも難しいのが、パンツを履くのが面倒くさいとか、手を洗うのが面倒くさいとかいう類のモノです。

 

そういう場合はパンツを履かないと警察に捕まるとか、風邪をひくとかそういう話をしますし、服を着ることは人間の社会性を保つために必要だ。という話まで3歳時にしています。

 

面倒くさいと感じるポイントって、人間の普遍的な営みとか、今の日本の社会ではびこる無駄に再度スポットライトをあてて、改めて哲学できるいいチャンスなんですよね。

 

子供にパンツの話をするときにも、会社で新規事業創出案件に取り組むときにでも、考え方は同じです。