日本農業④ -食料自給率と食の安全保障問題は農水省の省益のためにある-

テレビや新聞等で近年多く指摘されている食料の問題に、

「日本の食料自給率の低さ」や「有事の際の食料の安全保障問題」

があります。

 

農水省は農業問題の解決を図るとともに、国の食料を安定的に確保するため、これらの問題に取り組んでいる。と言っています。

 

今回はこれらの取り組みが、いかに農水省の省益、ひいては彼らの給料を守るためだけに訴えられているのかをまとめてみます。

 

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食料自給率の低さ = 国民の食生活の豊かさではない

 

下のグラフを見てください。世界各国の穀物自給率のグラフです。

農水省のHPからダウンロードしてExcelでグラフを作りました。

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日本は集計対象の173カ国のうち実に125位です。(国は抜粋してグラフ化)

日本の食料自給率は28%と低く、例えばフランスは189%。アメリカは127%と100%を超えています。

 

この数字を使って農水省は、

「食料自給率を高めないといい国になれない」

的な話をするのですが、、、、、、でも見てみてください。

 

 

例えば北朝鮮自給率は%だと思います?

 

 

実に84%です。そう、日本よりも高い。

 

一方でオランダ。農業大国のオランダの自給率は何%でしょうか?

 

 

なんと16%です。

(このグラフは穀物なのでその他の野菜など、モノに依っては自給率が大幅に100%超えているものも多数あります。)

 

 

つまりですね、食料自給率が高いことが先進国の条件とか国民の幸せの条件で有るという短絡的な式は成り立たないということをまずは理解すべきなのです。

 

 

戦争状態の国や鎖国状態の国、発展途上の国々の食料自給率は100%に近い。

でも想像してみてください。彼らの食生活が本当に豊かでしょうか?

 

まず考えるべきことは食料自給率は高ければいいというものでは無い。ということです。

 

 

食料自給率を向上させることで国民は無駄なお金を沢山払っている。それって本当に国益を増やしているの?農水省さん?

農水省が推進している食料自給率の向上。

まずはその目的が全く不明瞭だと説明しました。

(有事の際の食の安全保障という観点。これは後述します。)

 

でもまあ上げておけるなら上げておいてもいいんじゃないの?と言う意見もあるでしょう。

 

確かに僕も、ちょろっと自給率を100%にできるならそうしておいてもいいとは思います。

 

 

でも、農水省が手動している食料自給率の向上策と言うのは、ものすごく大きな弊害。というかマイナスしか産んでないんです。

 

 

例えば、コメの減反政策について、他のエントリでも触れましたが、米の代わりに自給率の低い小麦や大豆を作ることで補助金と言うなの税金がばらまかれ、米価が釣り上げられているのはご承知かと思います。

 

 

更にもう一つの弊害がありまして、本来輸入に頼れば何倍も安い大豆や小麦が買えるにもかかわらず、自給率を向上させるという大義名分のために、無駄に高い農産物を日本国民は買わされているのです。

 

これってどう思います?

 

税金を払って、農水省の職員と国会議員と生産性の低い農家を雇い、そして米も大豆も麦も高い価格で買う。

 

本当にこれって意味のあることなのでしょうか?

 

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他の産業界では当たり前ですが、最適な場所で最適なものを作るのが市場の常です。

 

 

中国に工場を作る、インドにコールセンターを作る。こうすることでトヨタIBMは人材の最適化を図っています。

 

農産物にも同じことが言えるはずです。

 

日本の気候では不得意な小麦をわざわざ作るのではなく、得意な米を沢山作って不得意な国、例えば香港やシンガポールに売ればいいんです。

 

先程あげたオランダ。

穀物は隣国のフランスに頼っていますが、トマトなどのハウス野菜では輸出大国です。

生産性の高い生産プロセスを国も一緒になって開発して、今や世界の中でも突出した高生産性を誇る農業大国です。

 

 

自給率に拘る必要などなく、このグローバルな今の時代に、他国との共存関係なくして国は成り立たないのですから、他国から安く買ってこられるものはじゃんじゃん買ってくればいいんです。

 

中国製は怖い!とか言ってるひとは国産品を買えばいい。

要するに市場原理にもとづいて価格を決定させると結果として需給バランスが取れて価格もリーズナブルになっていく。

(環境問題等の弊害が起こるというのは市場経済の弊害として指摘されていますが、日本の農産物を取り巻く環境は半世紀以上遅れているのでそんなフェーズに達してすらいません。)

 

 

「でも、もし食料を輸入に頼っていて、日本が第二次大戦のような戦争状態に突入したら、日本人はすぐに餓死してしまうんでは?そういうときのためにも自給率はあげておくべきでは?」

 

 

↓↓↓

食料自給率を上げたところで有事の際には全く意味がない

 

 

よく、食料自給率を上げておけば、有事の際に、とりあえず食べるものには困らないと勘違いしているひとがいます。

 

 

 

でも食料自給率を100%にしておいても、食料の確保と国民の餓死を防げるかというとそうでは全くありません。

 

 

考えても見てください。食料の輸入が途絶えたら、十中八九他の物資の輸入も途絶え

ています。

 

 

石油が途絶えた状態で、どうやって農家で集荷された米を精米して運んで水で洗って炊飯器で炊くのですか?

精米に使うガソリンや、水を汲み上げるためのポンプや炊飯器を動かすための電気は原油から作られているんですよ。

 

海外から購入している試料が途絶えたら牛や豚も育ちません。

 

 

つまり食の安全保障問題はその他の安全保障問題と同様に軍事やエネルギー問題と同様に考えられるべきものなのです。

 

 

例えば食料を在庫しておく、またはいざという時にはカロリーベースで効率的な生産体制に強制的に農地や農家を借り出せるような制度を作っておくなど、自給率向上という意味の分からない対策ではなく、もっと効果的な対策はあります。

 

 

 

そもそもそういう事態に突入しないように国を挙げて努力をすることこそが一番必要なことです。

 

 

平時の食料自給率を高めたところでそれらの備えにはなりません。

 

 

日本国民は備えあれば憂いなしとよくいいます。

 

しかしそれらを備えるために毎日の生活を犠牲にしていることがたくさんあるなと、アメリカに住んでいて思うのです。

 

 

そして、備えてもダメなときはダメなんです。

 

東日本大震災津波対策も備えていてもダメだった。

 

だからといって備えるのをやめようと言っているのではなく、備えのためのコストを無視することはやめようということです。

 

 

 

農業問題: TPP後、農政はこう変わる (ちくま新書)

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